※Violin Lesson の教授視点のお話(過去)です。





出会ったのは、パリだ。

運命のロン=ティボー国際コンクール。
近年財政難のため、ヴァイオリン部門が開催されることも少なかったが、今年はなんとか開催されたのが、幸運だったというべきだろう。
もちろんコンクール運営側にとって、だ。

突出した、才能。

最初の一音から、聴衆の心をとらえて離さない。
まるで、彼自身がその曲を作曲したのかと錯覚さえ起こしそうな、魂の籠りよう。

最初の1分で確信した。
99.99%、今年の優勝者は彼だと。

タクミ・ハヤマ。
日本の有名私立音楽大学在学。
今はボストンで指揮する世界的指揮者を輩出した大学でもある。

「惜しいな」

この才能を日本だけに埋もれさせておくのは惜しい。
その中で終わる才能ではない。
出来る限り、早く世界に連れてこなければならない。
むろん日本の大学を卒業してからでも構わないが、それなら後2年かかってしまうだろう。

演奏者は人の前に立つという運命がある。
タクミには華がある。
その場に立つだけで、人の視線を惹きつける。
彼の謙虚な態度や立ち居振る舞いを見ていると、己の華を意識しているようには見えないが。

欲しい。

彼が、欲しい。

もし彼を活躍させるのであれば、その真の才能を引き出すのであれば。

それは、

「私であるべきだ」

他の人間には任せたくない。
自分の手で、この才能を育てたい。

急がなければ。
誰かの手に落ちる前に。





タクミがカーティスに来て、3ヶ月経った。
そしてつい最近大々的にデビューを飾り、予想通り熱狂的なファンが付きつつある。
順調にこちらになじんでいるようだ。

それも当然だろう。この学院は、即戦力しか集まらない全米でもっとも高いレベルの音楽学校といっても過言ではない。
完全実力主義のここで、裏を返せばタクミがこれまでどういった経歴であろうと、あの実力を持ってすれば他の学生は黙って膝まづくしかないのだ。

だが、タクミはコンクール優勝者にありがちな高慢なところは全くない。
むしろこちらが不安になるほどに謙虚なので、敵を作るどころか、日に日に信奉者が増えているようだ。
もちろんデビューしてその素顔が明らかになり、その実力が世界に向けて発信されたことは大きいだろう。

そのことに、かすかにイラついている自分に苦笑するほかない。

個室のドアがノックされる。
誰何せずとも、気配で分かる。

「入りなさい」

私のバイオリンが、入ってきた。
そこにいるだけで、周囲が淡く光るような、柔らかで美しい存在。
コンクールで目にしたそのとき、その瞬間から、この存在は私の胸の中に棲み続けている。

「教授・・・ごめんなさい。少し遅くなりました」
「かまわない。また他の学生に捕まっていたのだろう?」

タクミは目を見開いた。
黒目がちで、きらきら輝く、きれいな瞳だ。
この瞳に、ずっと囚われている。

最初から、タクミの紡ぎ出す音だけではない。その姿にも、タクミそのものにも、私は捉えられている。
まるで真珠を孕んだアコヤ貝に手を伸ばし、そのまま中に取り込まれてしまったかのようだ。
もう決して外には出られない。

「なぜ分かったのかという顔をしているな。いつものことだろう。いい加減わたしも学習する。君が出てくるのを教室や門の前で待つ学生たちを見ていたらな」

そして、その学生たちの心の動きが手に取るように分かるからだよ、タクミ。

タクミは申し訳なさそうに、眉根を寄せた。

「申し訳ありません」
「責めているわけではない」

そっと歩み寄って、落としている肩を抱いてやる。
細くて、私の掌に余る。華奢で壊れてしまいそうだ。
いっそ、壊したくなってしまうほどに。

「今日は気分を変えてみるか?」
「気分、ですか?」
「今日はこれで授業は終わりだろう?」
「ええ、そうですが・・・」
「なら、私の家に来なさい」
「教授のお宅へ・・・?でも、ご迷惑では」
「迷惑なら、こんな申し出はしないよ。私の性格は知っているだろう?」

好きなものは好き。嫌いなものは決して懐に入れない性格だ。

「・・・教授のお宅」

タクミがその真っ黒な睫に縁取られた大きな瞳を揺らす。
 
心臓が、トクン、と打った。
まるで初めて好きな子をデートに誘うティーンの様に、心臓を高鳴らせている自分に苦笑する。

こんなに胸が高鳴ったのは・・・いつぶりだろう。
いや、部屋に誘うだけでこんな風にらしくなく落ち着かなくなるのは、きっと初めてだろう。

「嫌か?」
「いいえ。是非お伺いしたいです」





私はそれからたびたびタクミを自宅に誘った。
タクミを家に招き、バイオリンレッスンを行って、軽い食事を出してやる。

最初は、それだけだった。
だが、私はだんだんと我慢ができなくなっていった。

その内、タクミを家に泊めるようになった。
アルコールを飲ませてやり、その状態で出歩くのはあぶないからと、引き留めて、部屋に泊めた。
本当は一緒に眠りたかったが、劣情が理性に勝りそうだったので、客室を用意した。

そうして共に過ごすうちに、タクミが何かしら重苦しいものを抱えていることに気が付いた。
ふとした瞬間、視線を落とし表情を曇らせることがある。バイオリンを思い詰めたように弾き続け、こちらの呼びかけにも応えないことがある。

いったい何をその心の内に抱えているのか。

「・・・教授」

リビングのソファでパジャマの下と、上にはローブのみを羽織って寝酒代わりのグロッグを口に含んでいたら、後ろから声がかかった。

「っ」

振り向いて、目のやり場に困った。
そこには、風呂から上がったばかりのタクミがいた。
髪をぬらして、頬が上気している。
バスローブを纏っていて、少し開いた胸元は塗れたように光っている。

「ご、ごめんなさい!」

タクミを凝視したまま動かない私に、何か誤解をしたらしい彼はあわてて襟を正した。

「すみません。まだ体が濡れていて、こんな格好で・・・失礼でしたよね。着替えてきます!」

そのままあたふたとドアに向かうタクミをソファの背を乗り越えて引き留めた。
後ろから抱きしめる形になって、タクミが硬直する。

「教授?」
「そんな慌てなくても良い。私だって、こんな格好だ」

よく考えてみたら、羽織っていただけなので前がすっかりはだけている。
タクミよりヒドイ格好だった。







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Violin Lossonの、教授視点のお話です。
くっつく前なので、甘くないですが・・・切ない片思いです。
たぶん後篇で終わると思うんですが、片思いの描写だけで終わると思います。
両想い描写を書くとすれば・・・Violin Losson本編が終わった後かな、と思われます。
が、全て未定です。

大人の男性の片思い、難しいですね~描写が。おとめチックになり過ぎるのも変ですし。
かといって、ドライではないんですよね。愛してしまっているので(> <)
大人の男ならではの、抑えた感じが伝われば幸いです。


6月4日の記事への拍手ありがとうございました。
しのさま、コメントありがとうございました。