マネージャーが差出した名刺を見て、僕は思わず息をのんだ。

今のセリフ・・・そして、名刺の表記。
そこに記されていることが本当ならば。面会人は、僕のかつての恋人だということになる。

本当にギイなのだろうか。

確かに、僕はギイに逢えるかもしれないと言う一縷の望みを持ってここに来た。
たった一日もらえたオフの時間を使って、手がかりを少し探ってみるつもりで、でも再会に至るまでは正直かなり難しいと考えていた。
それが・・・本当に、ギイからこちらに来てくれたんだろうか。
期待しすぎてはいけない、と思う反面、どうしても僕はわき上がる期待を押さえきれなかった。

2年半もの間逢えなかったギイと、逢えるかもしれないという可能性が、目の前にある。
連絡先も、その方法も分からず、声を聞くことはおろか、姿を垣間見ることさえ叶わなかった、ギイと。

「会います、会わせてください」

元恋人の名前はライナルトには伝えていないが、大体の経緯は閨の合間に快楽で責められながら、白状させられた。
話の如何によっては言葉の端々からわかってしまうかもしれない。
彼に余計な心配はかけたくないから、そういった意味でも、ライナルトが席を外している今の内に、ギイに会いたかった。





マネージャーが部屋から出ていった後、叩かれるドア。

「どうぞ、お入りください」

震えを何とか押さえて返事をする僕。
返事をしたとたん、勢いよくドアが開かれた。

「託生!」

開くと同時に、男性が一人僕に向かって走ってきた。
あ、と思う間もなく、抱きしめられる。覚えのある香り、感触・・・僕の名を呼んだ幾分低めのその声。

「託生、託生」
「ギイ、なの?」

抱きしめられてなにも見えないけれど、でもその声は、少し低くなっていても、ギイで・・・。

「そうだよ、おまえに、会いに来た」

震えるからだ。
震える声。
2年半もの間、たとえ感触は薄れていったとしても、決して忘れることはできなかった。

僕は、確かめるように、彼の背中に手を伸ばした。
記憶よりも、広く逞しくなった。紛れもなく大人の男性の、体。

ギイが、目の前にいる。
あんなに会いたかった人が、この手に触れている。

ゆっくりと実感が伴ってきて、涙がホロリとこぼれていった。

「ギイ、僕も会いたかったよ」

君に会いたくて会いたくて、ここまで来たよ。





------------------side 義一



「遅くなって、すまなかった。今日も行けるかどうかわからなくて、約束を取り付けることさえできなかったが、今日どうしても託生に会いたくて、なんとか最後の演目には間に合わせた」

腕の中の華奢な託生。

俺が少し成長したせいだろうか、あのころよりも、さらに頼りなく感じられる。
だけど俺が心配したのとは裏腹に、託生の血色はよく、表情は幸せそうだった。
バイオリニストになるという夢を叶えたからだろうか。

大勢の観衆の前で演奏する託生は、堂々としていて美しく、久しぶりに生で託生を見た俺は、免疫が無かったためか心臓の高鳴りを押さえきることはできなかった。

そして、少し気になったのは共演者のライナルト・ビンデバルト。若干25歳の美貌の天才バイオリニスト。
彼と視線を交わす託生の表情は、甘く、とろけそうで・・・それを見返すビンデバルトの目線も、ただの共演者というにはあまりにも、長時間託生に張り付いており、正直二人の仲を邪推しそうになった。
俺は、演奏のためとはいえ見つめあう二人を見ていられずに、舞台の上に駆け上りたい衝動を必死に押さえていたのだ。

「ギイ、本当に嬉しい」

腕の中で、託生は綺麗にほほえんだ。
そして、やんわりと少し体を離した。二人の間に隙間ができる。
まだもっと強く抱きしめていたかったが、楽屋は誰が来るか分からないところでもある。
念のためということだろう。
家に連れ帰ってから、また思う存分抱きしめればいいか。
これでようやく俺はお前を取り戻せるのだから。

「やっと、会えたね。今度は僕から君に会いに行くって、ちゃんと決めてたから。でもどうやって手がかりを探せばいいのかも分からないし、そんなこんなで2年以上も経ってしまって・・・ごめんね、ギイ」
「なに、言ってるんだ託生、おまえが謝る必要なんてないだろう!」

謝らなければならないのは俺の方だというのはもちろんよく分かっていた。
父親の強大すぎる権力と、グループの跡取りという強烈なプレッシャーに負けて、託生を置き去りにした。
託生には当然連絡を取る手段など無かったし、託生はもっと責めてくれてもいいんだ。なのに、逆に謝られるなんて。
詰られるのを覚悟していた俺は、拍子抜けしたのと同時に、少し嫌な予感がしていた。

こんな風に一歩引いたような態度をとられるぐらいなら、詰られて怒鳴られた方がよほどマシじゃないか。
こんなのまるで、託生が俺から既に興味を失ったように聞こえてしまう。

そのとき、託生が妙な言葉を口にした。

「これで、やっと僕もケジメが付けられるよ」

ケジメ?

「託生、今なんて?」

腕の中で少し体を離した託生が、微笑んだ。

「うん。君にちゃんと会いに行きたかったんだ。・・・これで、ちゃんとケジメが・・・決着がついたよ」

決着がつく。というのはいったい何のことを指しているんだ。
ケジメも何も、これから始めるんじゃないのか。
嫌な予感に、心臓の音が鼓膜を叩くのを感じた。

腕の中で、託生は頬を染めた。

「だってね。君に去られてから、僕はしばらく辛かったけど、こんなコトじゃだめだと思ったんだ。もし再び君に会うことがあれば、ちゃんと君の元恋人として堂々としていたいって」
「元・・・」

俺はあまりの衝撃に言葉を失った。
託生の中で、俺とのことは・・・終わったことになっている?
いったい託生は何を言おうとしているんだ?

「僕がいつまでもメソメソしていたら、優しい君がもしかしたら心配するかと思って、ちゃんとがんばってここまで来たんだ」

ここまで。
そう、託生はNYへ来た。自分一人の力で。
おそらく血のにじむような努力でコンクールで優勝を飾り、超難関のカーティスに編入し、そして、新進気鋭の若手バイオリニストとして、華々しくデビューした。
それが、どこがどうなって俺が「元」恋人という話になったんだ・・・?

「それで、ちゃんと大切な人を見つけたよ。だから、僕はもう大丈夫」

大切な、人?

「ちゃんと会って、そう言いたかったんだ。僕を大切にしてくれた君に。もう心配いらないよって」

俺は、何も反応できなかった。
託生に大切な人ができたということも、託生が俺を恋人としてはもう見ていないと言うことも、全て、心が理解するのを拒絶していた。





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やっとギイ出てまいりました。とんでもないセリフを託生君から投げられて固まっています。
ギイにとっては超想定外です。
たぶん託生君が無条件に尻尾を振って飛び込んでくると確信してたと思うんですが・・・
違うんだな。

さぁ、ここから修羅場です。この話の核とも言える部分に突入していきます。
Sweet Violin 後篇は今しばらくお待ちくださいませ。


6/11の記事につきまして、拍手ありがとうございました。
しのさま、マッシュさま、コメントありがとうございました。