それから時間のある時はほとんど、個人レッスンのあとは必ず、僕たちは抱き合った。
さすがに学内ではコトに及ぶことは無かったけれど、ライナルトはそのクールな外見に反して、想いが通じ合ってからは僕を焼き尽くすばかりの視線で見つめてくるので、うっかり彼にすがりつかないようにするだけで、精一杯だった。

今日も人目の無い個室でのレッスン。

弦をなぞる僕をライナルトが見ている。
もちろん、担当教授として、僕を指導するために。

なのに、その視線は僕を暴きたてるようで・・・。

「あ、」

音が一瞬乱れてしまい、焦りから立て続けに指がもつれた。
だめだ、こんなことでは。

「いけないな、タクミ」
「ライナルト・・・あ、いえ、プロフェッサー・ビンデバルト、申し訳ありません」

二人きりのときだけ呼ぶその名前が、うっかり出てしまった。
それだけで、僕が今どんな状態でいるか、彼には伝わってしまっただろう。

「そんな目で、演奏で、私を誘惑して・・・ユモレスクは愛の歌ではないというのに」

セリフとは裏腹に、意地悪な笑みを浮かべたライナルトが徐々に距離を詰めてくる。
鼓動が、どんどん速くなっていく。
バイオリンを冷静に弾き続けるなんて、もう不可能かもしれない。

80cm、
50cm、
30cm、

・・・0cm。

「それとも、愛の歌を奏でたい?」

体が、密着する。

「ここでは、だめ、です」
「なら私の部屋で、レッスンの続きをしよう」

僕にしか、聞こえない小さな囁き。
体が、言うことをきかない。





彼の部屋。
ひっきりなしに漏れる声。

それは、もはや抑えきれるものではない。
彼の指先がほんの少し僕の肌をかすったりするだけでも、僕の噛みしめた唇から漏れ出てしまう。

「唇を噛まないで、傷がつく」

まるで、彼のバイオリンになってしまったよう。
二人だけの、バイオリンレッスン。

自在に弾きこなされている。
もう、自分の体が肉体なのか、楽器なのか、よく分からない。
分かるのは、彼の思い通りになっているということだけ。





ライナルトと想いを交わしたからと言って、ギイと再会することを断念したわけではなかった。
 

ギイには、これまでの感謝の気持ちを伝えたいと思っていたし、単純に元恋人としては、彼が今幸せに暮らしているのかどうか、元気でいるのかどうか、とても気になっていた。

僕は彼に約2年間のとても幸せな時間をもらったから、どうしても彼に幸せでいてほしかった。

そして、もしかするとあんな状態で僕を置いて行ったことを気に病んでいるかもしれないから、ひとことだけでもいい、「僕はもう大丈夫だ」と伝えたかった。

できれば今、僕を支えてくれる大切な人がいることも伝えて、何も心配いらないことを知らせたい。





そんな折り、ようやくニューヨークのカーネギーホールでの公演の機会が巡ってきた。

第二バイオリンが彼、そして第一バイオリンが、僕だった。
並走し、そして駆け引きのように絡み合う二つの音。

そして、絡み合う視線。


彼の銀色の瞳にとらえられて、僕のボウは常よりもさらに滑らかに弦の上を滑っていく。
物理的に体は離れている。
そして舞台の上、観衆の目にさらされた僕たち。

なのに、まるで彼に抱かれているような不思議な感覚だった。
彼の瞳にすべてを暴かれてしまうような。

まるで舞台の上で抱き合っているような。 


漆黒のシルクリボンで一つにまとめたプラチナブロンドを背の半ばまで垂らし、年月を経た飴色のバイオリンを構えた彼は、一つの芸術品のようだった。


人が彼を天才と呼ぶ理由。
それは、この音だけではない。
彼の容姿、生まれ持ったこのオーラを含めたすべてを指して言うのだろう。


そして、ともに演奏したものにしかわからないだろう。
この高揚感。


彼とともに演奏する機会を与えられるのは、ほんの一握りの人間だけなのだ。
そこに選ばれた僕は、若手バイオリニストの中で、確かに幸運な人間なのだ。






「お客様?」
「ええ、タクミさん宛てだそうです」


演奏が終了し楽屋に戻った。ライナルトは人と会う用事があってしばらく戻らない。
楽屋は届けられた花で彩られ、むせ返るような甘い香りが漂っていた。
そこへ、マネージャーが来客だと告げに来てくれた。
デビュー以来アポイントメント無しのこういった申し出もたびたびあるのだが、マネージャーが身元などの確認は行っていて、差支えのない人間だけ受け入れるようにしている。

伝えに来たということは、問題ないということなのだろう。


「どなたですか?」


大方、スポンサーの話か、あるいはTVか雑誌などのアポなし取材か、たまたま著名人が来ていたか、そんなところだと思うのだが。


「Fグループのご子息で、現グループ会社のCOOのギイチ・サキとおっしゃる・・・」






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予定通り、ライナルトと託生君が愛を深めていく様子を・・・書き切れていたらいいのですが。
芸術家同士のつながりというのは、凡人が想像しがたいものがあるのでは、と思っています。
その関係が友人であれ、恋人であれ、お互いに未知のものを生み出しながら、
時には賞賛し、時には嫉妬し、それでも互いの魅力にとらわれながら離れられず・・・。
機会があれば、この二人のそういうのも書いてみたいですが・・・
あ、その前に、御約束したライナルト視点からの託生君も書きますよー!!


5/28の記事について拍手ありがとうございました。
しのさま、コメントありがとうございました。