こんばんは!
今日も、託生君関連の話でもなく、BLの話でもありません。
章タクの続きを書こうと頑張ったのですが、どうにも「続・異国にて 14」で力を使い果たしてしまったようなんです、すみません。
ダミアンとギイの冷たい(笑)応酬を書いてたら、なんだか疲れました(弱)
軟弱ですみません。この暑さなので、冷たいぐらいがちょうどよいと思うんですけどね。
そんなわけで、今日は前回書こうとしてた本(非BL)の感想文でして、またしても先に御礼でございます。
7/17の記事につきまして、拍手ありがとうございました。
また、ラッキーさま、ちーさま、しのさま、コメントありがとうございました。
私の卑近な話ですみません。ご感想頂けて本当に嬉しかったです。きっとプロジェクトも無事終わる気がします。
さて、以下はあるエッセイというか記録を拝読したもっぱら下手な感想文ですので、まあ、いつも通り読み飛ばすか、無視していただけると嬉しいです。
本の内容自体は結構デリケートですので、専門家の方などは色々とご意見をお持ちだと思うのですが、素人の感想ということでご容赦ください。
もちろん、認識違い、知識不足による誤りのご指導は喜んで受けたいと思っています。
読んだ本
「おかあさん ぼくが生まれて ごめんなさい」(向野幾世 作 2004年 扶桑文庫刊)
こちらは養護学校の先生が、27年前に記された、ある少年が生まれてから亡くなるまでの記録、そしてその後の家族と社会の様子です。
私が読んだこちらの文庫は、復刻版です。
作者の「向野先生」は、計算するにおそらく32歳ぐらいの時に奈良県の明日香養護学校の先生として
新たに着任されます。
そこで出会った障がいのある子供たち、家族、それを取り巻く社会の変化をほぼ時系列で記されています。
舞台は昭和40年~50年頃を中心に書かれていますから、先生は、現在おそらく70歳~ぐらいの方だと思います。(間違ってたらすみません!)
情報収集のメインツールがテレビとラジオであったり、様々な生活描写は時代を感じさせるものの、
問題の本質的には、現代となんら変わらないのではないかと、推測します。
物語の中心は重度の脳性マヒがある「やっちゃん」(山田康文さん)。
軸となっているのは、
母親と子供の強い愛、兄弟の愛の物語。それぞれの苦悩。
養護学校を取り巻く環境の移り変わり、当時の若者たちの社会を変えようという情熱、戦い。
友情。
作者 向野先生の深い愛情。
いろんなものが詰め込まれていて、とても一言では言い表せませんが、文章からは向野先生が大切にしておられた教え子、康文さんへのあふれんばかりの愛情がほとばしっていて、痛いぐらいです。
発語も難しい重度の脳性麻痺という障がいのある方が主人公であるため、その点はもちろんストーリーの大きなポイントです。
これについては、非常に難しい大きな問題をはらむため、ここで私の意見を述べることは控えさせていただきます。
上記もろもろありますが、この本の特徴として、詩がたくさん収録されています。
主人公の康文さんを中心とした養護学校の子供たちが残した、心打つ詩の数々です。
なかなかスムーズに鉛筆を握って書き記すことが難しい中、先生の助けもあって作られたものだそうです。
表題「おかあさん ぼくが生まれて ごめんなさい」も、康文さんが14歳の時に作られた詩の一番有名な一節です。
詳細は省きますが、後にラジオでも朗読され、またプロの女性歌手によってテレビでもオンエアーされたそうです。
石川県の美術館には、ある住職が清書されたものが飾られているそうです。
※一部現在では使われない言葉があるのですが、原文をそのまま引用いたします。
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ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
僕を背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
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ここまでが前半です。そしてこの前半を読んだ母上の「ありがとう息子よ」という言葉の入った返しの詩をもらって、康文さんは残りの後半を書きます。
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ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
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うるさい説明や感想は要らないと思いますので、控えます。
他にも色々掲載されていますから、もしご興味のある方はご一読いただければと思います。
復刻されたぐらい有名な本のようですので(恥ずかしながら私は存じ上げなかったのですが)、図書館などでも貸し出されているかもしれません。
本当に優しい母上と、康文さんです。
「ぼくさえ 生まれなかったら」
こう考えないでいられる世の中だったらと、思いますし、そのために自分ができる小さな事は?と考えたりもしました。
ではではこの辺で・・・
次回こそはなにかしらお話を掲載できればと思ってます(><)。
mike(ミケ)
コメント
コメント一覧 (4)
養護学校とか養護学級は身近ではありましたが。
私が子供の頃、カタワって普通に使う言葉でした。メクラやツンボなんて言葉も。
いつから使われなくなったのか。
言葉だけ使われなくても厳しい世間な事は変わりないと思います。
うまれてきてごめんなさい
そんな風に思う人が少しでも減ってくれる世の中になりますように。
ありがとうございます。そうなんです、言葉は変わって行けども、結局人の意識自体が変わらないと、同じことなんですよね。おっしゃる通りだと思います。
この本が復刻されて、今でも版を重ね続けている理由は、問題が解決していないからだと思います。今だって、障がいのある方の自立や、家族にかかる重い負担の問題は依然としてあると思いますし、康文さんのように感じさせてしまう世の中は変わっていないのかもしれませんね。
それでも一方で変えようと闘っている人たちがいるから、その人たちの活動をまず知ることが私の第一歩なのかな、と思いました。
この言葉、訴えかけてきますよね。後半の感謝の言葉から、この親子の深い信頼関係が見えてきます。